『お嬢様の為に。』  静かに息を吸い、そして吐く。  それを合図に、白玉楼にこだまするあらゆる音という音が私の耳から斬り捨てられた。  深い集中が生み出す静寂の中で、私はまぶたを閉じる。  訪れた闇の中で線を描き始める。この西行寺家の庭を端から端までくまなく蹂躙する二本の線を描く。  ひゅっと鋭く息を吸って、楼観剣と白楼剣を握った両手に力を込め、 「六道剣『一念無量劫』!」  脳裏に描いた線をなぞるように双振りの剣を走らせ、私は主が「その広さ二百由旬」と誇る庭園を一気に走り抜けた。  振り向いた先では、西行寺家の庭園を埋め尽くすあらゆる草木の、その中でも無粋に伸びた枝葉のみが綺麗に切り落とされていた。  先に切り落とすべき箇所を見回った時に思い描いた通りの枝振りに変わった庭園に、私は満足の笑みを浮かべる。  後は箒をかけてしまえば、今日の仕事は終わり。  とはいえ最近は、白玉楼を埋め尽くす桜という桜が花びらを散らすものだから、これが一番大変な仕事なのだけれど。  来客のいない白玉楼はとても静かだ。箒が地面をかくさっさっという音に、時折風が木々を揺らす音が重なるだけ。  庭掃きも半ばが過ぎた頃。  す……と滑らせた箒の毛先が、地面を走る巨木の根に当たって止まる。  庭を埋め付くさんばかりに舞い落ちる桜の花びらも、この近くにだけはほとんど落ちていない。  私はその巨木を見上げる。  西行妖。  ここ西行寺家の庭にあって異様なまでの存在感を誇る妖怪桜。  幾度の春が訪れても決して咲かなかった桜。  私が先代の跡を継ぎ、西行寺家の庭師を務め始めてから、一度も咲くところを見ない桜。  一度だけ、先代にこの桜について聞いたことがある。 「それは凄い桜だったが、もう二度と咲くことは無いだろう」  彼が教えてくれたのはそれだけ。  今年の春が始まろうという頃のことだった。  今まで「咲かぬなら咲くまで待とう妖怪桜」と大して関心を示していなかったお嬢様が、突然言い出した。  この桜を満開に咲かせたい、と。  私は勿論その為に粉骨砕身し、幻想郷中の春をこの白玉楼に集めた。  西行妖の為に。  ではなく、お嬢様の為に。  私は巨木を見上げる。  最近お嬢様が毎日そうするように巨木を見上げる。  お嬢様は西行妖を見上げては「まだ咲かないのね」とか「もうすぐ咲くかしら」とか、多分その日の気分で私に一言コメントしてくれる。  今のお嬢様の頭の中は、間違いなくこの妖怪桜に埋め尽くされているのだ。  正直なところ、私はそれが妬ましい。  あと少し、あと少しだけの春を集めれば、西行妖もきっと花を咲かせるだろう。  これだけ大きな桜の木だ、さぞかし壮麗に咲き誇ってくれることだろう。  それを見たお嬢様はどうだろうか。童女のようにはしゃぎ回るだろうか。何も言葉にせずただただ見入り続けるだろうか。  妖怪桜を咲かせる為に尽力した庭師を、少しは誉めてくれるだろうか。 「私がこうして満開の西行妖を見ることが出来たのも、貴方のお陰なのね。  ありがとう、妖夢。だいす」  手前勝手な妄想を理性が真っ二つに断ち切る。なんと恥知らずなことなのだろう。  こんなことを思うのは、私が半分だけ人間だからだろうか。  半分だけ幽霊だからだろうか。  私は西行妖を見上げる。  私は西行妖に嫉妬している。  何故お前はそれほどに、幽々子様の心を奪うのか。  ずるい。  私が幽々子様付きの庭師になるずっと前から、お前は幽々子様と一緒にいたのだろうに。  どうして今になって幽々子様の心を奪うのか。  気が付くと、私は箒を手放していた。  気が付けば、私は剣を握っていた。  もしも、もしもお前がいなくなれば。  幽々子様は怒るだろうか。嘆くだろうか。  それとも案外「いなくなったものは仕方がない」とあっさり流すだろうか。  そしてまた、私と幽々子様と多少の幽霊たちの、いつもの春が始まるだろうか。  私は意識を研ぎ澄ませる。  妖怪が鍛えたこの楼観剣に、斬れぬものなどあんまり無い。  お前は、どちらだ。  嘆息ひとつ、私は楼観剣を鞘に戻した。  分かっているのだ。  今、西行妖はお嬢様の大切な、悔しいが私よりよほど大切なモノだ。  ならば楼観剣の刃が立つ筈も無い。  私は足下に転がっていた箒を拾い上げると、庭掃きを再開した。  そして私の日課は終わる。                              SS執筆 つな                              代理UP すし~